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称名寺の由来・歴史

称名寺の由来・歴史

 正保元年(1644年)に伊勢の国(三重県)の僧、円龍上人は阿弥陀如来像を奉持し北海道に渡り、亀田村(現、函館市八幡町付近)に像を奉り阿弥陀庵を建立しました。これが称名寺の開山です。
 のちの元禄3年(1690年)護念山摂取院称名寺と公称いたします。亀田川の度重なる氾濫により、宝永5年(1708年)富岡町(現、弥生小学校付近)に移転。当時は方50間の寺地に、本堂、庫裡、三十三観音堂、経蔵、鐘楼門など整っていたそうです。
 しかし文化3年の大火でほぼ全焼。のち再建して書院などを更に雄大にした、との記録があります。ペリー来航時の紀行文中に当時の称名寺の様子が描かれています。箱館奉行交代の際には仮本陣となり、箱館開港当初はイギリスやフランスの領事館がおかれました。

 箱館戦争では新撰組の屯所となり、明治6年には寺内に北海道最初の中学校である官立変則中学校、明治12年には同じく寺内に商船学校が設けられましたが、同年12月の大火により本尊、石仏、墓石など以外ほぼ焼失してしまいます。
 この大火による市区改正で、現在地(函館市船見町)に移転しますが、現在地においても明治29年、同40年と大火の被害をうけました。
 幾度もの被災を考慮し、昭和4年に鉄筋コンクリート建築の現本堂が再建されました。
 内陣には、東京・芝の大本山増上寺より拝領の極彩色の豪華な人天蓋が飾られております。

 

 境内には新撰組土方歳三の他4名隊士の供養碑豪商の高田屋嘉兵衛の墓初代箱館館主河野加賀守政通の供養碑など多くの著名人の墓があり海産物交易の集積地として栄えまた開港により更に賑わった当時の函館の歴史を垣間見るこができます。

​浄土宗の宗旨

浄土宗の宗旨
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名称  浄土宗
宗祖  法然上人(源空) (1133~1212)
開宗  承安5年(1175年)
本尊  阿弥陀仏阿弥陀如来
教え  阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ
    「南無阿弥陀仏」とみ名を称えて
    人格を高め、社会のためにつくし
    明るい安らかな毎日を送り
    お浄土に生まれることを願う
    信仰です。
お経  お釈迦さまがお説きになった
    『無量寿経』『観無量寿経』
    『阿弥陀経』の三部経を
    よりどころとします。

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